こんにちは、トーコ(@lily_tohko)です。
近年、イジメによる悲しいニュースを見かける機会が多くなっています。
未来ある若者が自ら命を絶つ。
あってはなならないことです。
あってはならないことですが、私・トーコも遠い昔、彼らと同じ選択肢を選びそうになったことがあります。
今、イジメに遭っているひと、それによって自らの命を絶つ選択肢まで考えているひとへ。
あなたがその選択肢をとる必要なんかありません。絶対に。
この記事では、私自身の経験に基づくイジメ被害者の心情を、続く【2】の記事ではそこから私が見出した意見を綴っていきたいと思います。
まずこの記事では、私の記憶を頼りにリアルな体験、気持ちを時系列で書いています。
目次
わたしがイジメに遭ったときのこと
私がイジメのターゲットになったのは小学校2年生の頃。
キッカケは本当に些細なことでした。
「声が小さい」「おどおどしている」そんな理由でカースト上位の女の子達に目をつけられ、ことあるごとに数人に囲まれて口々に暴言を浴びせられました。
面と向かって悪口を言われる・馬鹿にされる、という生まれて初めての経験に驚き、何も言い返せずに居るといつの間にかそれが日常的なものになっていきました。
そういった扱いを受けるのは決まって先生や上級生のいない時ばかり。
当時仲良くしていた友人達も大人しい子が多かったので、かばったり助けてくれる人は誰もいませんでした。
いつしか学校に行くこと自体がイヤになった私は、懸命に学校に行かなくて済む理由を考えるようになりました。
結果、仮病を使って休んだり、はたまた早退したり、早退が認められなければ黙って学校を抜け出したこともあります。
当時、私がイジメに遭っていたことを両親は知らず、父は私を「怠け者」「仮病ばかり使って!」と怒り、嫌がる私を無理やり車に乗せて学校に連れていくこともありました。
母からも「どうしてそんなウソをつくのか?」「何かイヤなことでもあるのか?」と聞かれることが度々ありましたが、どうしても「イジメに遭っている」と言い出すことはできませんでした。
8歳で自ら命を絶つことを考えた
家ではどうしてウソをつくのか・学校に行かないのか責められ、学校では毎日のように面と向かって悪口を言われる。
私にはもう、行き場がなくなっていました。
安らげる場所はどこにもなく、夜ベットに入ると怖くて涙が出てきたのを覚えています。
「寝たら朝になる。朝になれば、また学校に行かなきゃいけない。」
そう考えると明日が来ること自体が私にとっては恐怖で、こんな生活から逃げ出したいという気持ちばかりが膨らんでいきました。
自ら命を絶つという選択が頭をよぎるようになるまで、あまり時間はかからなかったように思います。
何で知ったのかは覚えていませんが、知識として「そういうものがある」ということは知っていました。
しかし、当時私はまだ8歳。
どう実行すればいいのかまでは知りませんでした。
今ほどパソコンやインターネットが普及していない時代で、「どうやったら自分の命を絶てるのか」なんて、もちろん大人には聞けません。
学校に図書室はありましたが、それが載っている本は勿論ないでしょうし、仮にあったとしても、フリガナが無ければなんと書いてあるのかもわからない。
結局、私が知識として知っていたそれを実行することはないまま、その後もイジメは続きました。
誰にも相談できなかった理由
そう考える人もいると思います。
ですが当時の私としては、
- 誰かに言えば、それが知れたときにもっとひどい目に遭うかもしれない
- 親になんと言われるか分からない(反応が予想できない)
- 大人に相談=告げ口=「卑怯なこと」という意識があった
理由は他にもあったかもしれませんが、とにかく「知られなくない」という気持ちが強かったのを覚えています。
そもそも、いつもひどい態度や言葉をぶつけてきた彼女たちは成績優秀な子ばかりで、親や先生に言ったところで自分の言葉を信じてくれるのか、まともに取り合ってくれるのかも疑問でした。
実際に現場を見ているクラスメートですら助けてくれないのだから、現場を知らない大人がどう対応するのか、当時の私には見当もつかなかったのです。
少なくとも、誰かに相談することで事態が好転するとは全く思えませんでした。
イジメの頻度に変化があらわれ、本格的に不登校に
そんな日々を過ごすなかでも季節は移り変わり、私は小学校3年生になりました。
田舎の小さな小学校にクラス替えはありません。
いじめてくる子達とも、また同じクラスです。
進級してからはそれまでほぼ毎日だったイジメの頻度がだんだんと不定期になっていくのですが、それが原因でいよいよ私は追い込まれていきました。
普段の学校生活の中で、イジメてくる子達とほんの少しでも接点を持ってしまったり、相手の目にとまればまた暴言を浴びせられることになったからです。
「目があった時、こっちを睨んでた」「プリントを渡す時の態度がそっけなくて気に入らない(席が前後だった)」などなど、私にそのつもりがなくてもそうだと決めつけてくることがほとんどで、いつ・どこで・どんな理由でひどい事を言われるのか私からは全く予想できなかったので、学校にいる間は常に周囲の目を気にしながら生活することになってしまったのです。
いつまでこんな生活が続くのか。
唯一の逃げ道に思えた「自らの命を絶つ」という選択肢が選べない以上、この苦しい毎日から逃げ出すことはできない。
そう思った私は、本格的に学校に行くことを拒否するようになりました。
朝、母親に起こされても頑なに着替えをしない、準備をしない。「具合が悪い、行きたくない」の一点張り。
父に怒鳴られても、大泣きしながら必死に抵抗しました。
結局無理やり連れて行かれることもありましたが、教室には近寄らず、休み時間のうちに保健室に駆け込んではそのまま具合が悪いと居座ることもありました。
毎朝そんな抵抗を続けるうちに、だんだんと父や母も何か察するところがあったのかもしれません。
いつの間にか「学校に行きなさい!」ではなく「今日は学校に行く?」と聞かれるようになり、気づけば週に1~2回しか登校しないこともザラで、たまに登校しても保健室で一日過ごすようになっていました。
学校には行かなくて済むのは嬉しい、でも・・・
学校に行くことが減りイジメに遭う心配はなくなりましたが、今度は別の形で心配事ができました。
それは勿論、勉強のことです。
自分が家にいる間もクラスのみんなは授業を受け勉強をしています。
登校する回数が減れば減るほど、当然ですが授業にはついていけなくなります。
幸い、小3で習う内容なのでそこまで複雑なところはありませんでしたが、やはり高学年になるにつれ難しくなっていくことは当時の私にも分かりましたし、「本当にこのままでいいのだろうか」という不安な気持ちも芽生えていました。
離れて暮らす祖母からの電話
不安な気持ちを抱えたまま過ごすうち、隣町に住んでいる祖母から電話がかかってきました。
「最近、学校にあんまり行ってないんだって?」
母から話を聞いていたのでしょう。
そう聞かれ、咄嗟に「怒られる!」と思った私は返事に詰まったことを覚えています。
電話口で黙ってしまった私に対し、祖母は
「おばあちゃんの家に泊まりに来る?」
そう聞いてきました。
夏休みや冬休みでもない、ただの平日にです。
もちろん学校があるので、そのことを尋ねると「それなら土日に来たら?」とあっけらかんとした返事がかえってきました。
当時の我が家では、学校が長期の休みに入ると母の実家である祖母宅へ行くことが慣例になっていたのですが、いつもとは違う時期にこんな風に言われることは初めてだったので、久しぶりにワクワクした気持ちになっていたと思います。
学校のことを詳しく聞いてこなかった祖母
母と一緒に祖母の家に泊まることになった私は、父に送り届けてもらい、久しぶりに祖父母や伯父、伯母と会いました。
いつものようにご飯を振舞ってもらい、他愛ない話をして楽しく過ごしたのです。
泊まったのはほんの1~2日ほどでしたが、滞在中、私が学校に行っていない理由を聞かれたり、怒られたりすることは一切なく、ただ楽しかった記憶だけが残っています。
祖母はもちろん、伯父・伯母達もいつもと全く同じように接してくれたのです。
しかしそんな楽しい時間はあっという間に過ぎ、すぐに自宅に帰る日がやってきました。
父が迎えに来てくれたのですが、自宅に帰ることがイヤになっていた私は気分が沈んでいました。学校を連想するもの全てに敏感になっていたのだと思います。
そんな私を見た祖母は私の頭を撫でながら、
「トーコちゃん、大丈夫だからね。またいつでも遊びに来ていいんだからね。」
「また電話もするからね。トーコちゃんなら、大丈夫だからね。」
と、その時になって初めて、いつもとは違う言葉をかけてくれたのです。
「トーコちゃんは大丈夫」と祖母は何度も繰り返し、私は何だかホッとしたような気分になりました。
当時はそれがどうしてなのか自分でも理解できませんでしたが、今思えば、おばあちゃん私の味方だとその時なんとなく分かったからかもしれません。
「大丈夫」の一言が私にはとても暖かく聞こえました。
その後
その後、自宅に戻ったあとも週に数回の登校のみ、登校しても教室には行かず保健室で過ごす・・・という生活がしばらく続きました。
が、少し変わったこともありました。
不登校になる前に仲良くしていた友人たちが少しずつ保健室に顔を出してくれるようになったのです。
休み時間になると決まって保健室まで来てくれて、授業で使ったプリントを持ってきたり、どんな授業をしたか教えてくれるようになりました。
それから徐々に友人たちの付き添いのもと教室へ行く機会も増え、小学校4年生になる頃には毎日学校へ行けるようになりました。
また、詳しい事情は分かりませんがパッタリとイジメも止んだのです。
「声が小さい」「オドオドしている」という理由で悲しい思いをすることはもう嫌だったので、私自身、言い方は悪いですがナメられないように(?)明るく振舞ったり声を大きく出すことも意識していたので、もしかしたらそれも何か効果があったのかもしれません。
1年で身長も伸びて、4年生になる頃にはクラスで2番目に高い身長になったことも理由の1つだったのかもしれませんが・・・本当のところどうしてイジメがなくなったのかは今も不明です。
もしかしたら私が休んでいる間に当時の担任の先生が友人たちに何か言ってくれたのかもしれません(そのような話も聞きました)が、それが決定打となったのかは定かではありません。
ただそれ以降はイジメに遭うことは完全になくなり、「普通の」学校生活を過ごすことができました。
ここまでが私が過去経験したイジメの全容です。
続く【2】では、この経験から見出したイジメに関する私の意見、メッセージを綴ってみます。