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【体験談】私が経験したイジメのリアルと、今悩んでいる人へ伝えたいこと【2】

こんにちは、トーコ(@lily_tohko)です。

前記事では、私が実際に過去経験したイジメの全容を綴りました。

この記事はその続きですが、ここからはあの体験の中で見出したイジメに関する私個人の意見を書いていきたいと思います。

「イジメに遭う=本人にも原因がある」はウソ

イジメがメディアやSNSで話題になる度に、こんな意見を見たり、聞いたりすることがあります。

イジメられる方にも、原因があるんじゃないの?

結論から言って、そんなワケありません。

いじめ加害者にとって、ターゲットは”自分に強く出れない相手”なら誰でもいい

たまたまイジメ加害者の目に留まったのがあなただった、ただそれだけです。

いじめる側にとって、ターゲットは自分より強い相手(大人や、気の強いひと)でなければ、誰でもいいのです。

たまたま目に留まった、自分に強く出れないであろう相手があなただったというだけで、他のひとであっても似たようなターゲットが居れば標的になりうるのです。

イジメの被害者にある側に問題がある、なんてことは真っ赤なウソでしかないと思います。

「誰も助けてくれない=自分が悪い?」と思い込んでしまう

「庇ってしまうと、今度は自分がいじめのターゲットになるかもしれない。」

そう考え、イジメの事実を知っていても見て見ぬふりをする人たちは大勢居ます。私が普通に学校に通えるようになる少し前、そのことを謝ってくれた友人がいました。

しかし、誰も助けてくれない・庇ってくれないことによって、いじめられている本人はいよいよ「いじめられる側にも原因がある説」を信じるようになってしまいます。

 

過去の私がそうだったように、「イジメの事実を知っているのに、誰も助けてくれない」という事実を目の当たりすると、被害にあっている側はなんの落ち度がなくても「自分が間違っているのかもしれない」「自分がおかしいから、誰も助けてくれないんだ」と思い込み、自分で自分を責めたり、どんどん抵抗できなくなっていくのです。

相談したいけどできないジレンマがさらに本人を追い詰める

声を上げれば助けてもらえるかもしれない」という可能性に気づくイジメ被害者は大勢います。いえ、むしろその可能性に気づかない人は居ないのではないでしょうか。

しかし、それを実行できない理由も同時に存在していて、

  • 誰かに相談(告げ口)することで、報復としてもっとひどい目に遭うかもしれない
  • 相談しても、事態が100%解決できるか分からない
  • イジメに遭っていると人に知られるのが恥ずかしい

などがその一例です。

 

自分の命を絶つよりはマシじゃないか!

と思う方もいるかもしれませんが、いざ自分がその立場になったとしたら、どうですか?

怖い、逆らえない、と思っている相手を逆上させるかもしれない選択肢をわざわざ選びたいと思いますか?

あんなやつにイジメられてるのか、情けない、格好悪い、と好奇の目にさらされる可能性があっても、声をあげることができますか?

100%事態が好転するか分からない場合、それはもはや賭けでしかありません。

それならいっそ口をつぐんでしまおう、自分が我慢しようと思う人がいても不思議ではないのです。

イジメ被害を相談されたら「どうしてもっと早く相談しなかったのか」ではなく「話してくれてありがとう」と伝えてほしい

上記で挙げたような理由で、相談したくてもできないジレンマに一番苦しんでいるのは被害者自身です。

イジメの事実が発覚してから、「なぜもっと早く言わなかったのか」と被害者を責めるのは間違っていると思うのです。

ただでさえ傷つき、憔悴しきっている被害者を責めることはなんの解決にもならないばかりか、「やはり自分が悪かったのか」と更に被害者を追い詰めるだけです。

 

勇気を出し、重い口を開くことは過去の私にはどうしてもできませんでした。

 

もし、この記事を見ているアナタがイジメの事実を相談されることがあれば、被害者を責めるのではなく「話してくれてありがとう」と伝えてあげてほしいのです。

それだけで「自分は間違っていなかった」と安心する人もいるのです。

イジメが原因で自らの命を絶つ選択肢を選ぼうとしているひとへ

前記事の冒頭でも言いましたが、あなたがその選択肢を選ぶ必要はどこにもありません。

抵抗することができないなら、全力で逃げていいのです。

でも、そのための手段としてたった一度しかないあなたの人生を手放す選択はしないでほしいのです。

世の中には、私が経験したものより、ずっと辛くさらに苦しいイジメ被害に遭ったひとも大勢いると思います。絶望の淵に立ったとき、過去の私がそうだったように、「自らの命を絶つこと」だけが最後の抵抗・最後に残された逃げ道に思えるかもしれませんが、それは間違いです。

あなたには、あなたの人生を楽しみ、謳歌する権利がある。

そして、あなたには、あなたを幸せにする義務もある。

誰かの手によってそれが侵されたり、歪められることを許してはいけないのです。

最終的に自分を愛し、守ってあげられるのは、あなた自身

最後の最後、自分を愛し、守ってあげられるのは他の誰でもないあなた自身です。

ボロボロに傷ついていても、守る価値がないように思えても、その体とこれからの未来を守ることができるのは最終的にはあなたしか居ません。

今は辛くても必ずいつか

傷つき、泣いた「あなた自身」を愛しく思える日が来ます。

かつての私がそうだったように。そして、今の私がそうあるように。

イジメの記憶は忘れなくてもいい、糧にして”生きる”ことが大事

ひどい仕打ちや乱暴な言葉で傷つけられたことを無理に忘れる必要はありません。そもそも、そのような経験は忘れようと思ってもそう簡単に忘れられることではありませんよね。

この記事を書くにあたって、私も過去の記憶を辿りながらの作業になりましたが、20年近く昔のことでも鮮明に覚えていたほどです。

 

辛い記憶を無理に忘れる必要はありませんが、それを糧に生きることはできるはず。

私自身、過去の経験があったからこそ今の私があると思っています。

もちろん、イジメを経験することなく人生を歩めればそれに越したことはありませんが、すべて経験したうえで成り立っている今の私を愛し、大切にすることも生きていくうえでは重要なことだと考えています。

それはなぜか。

「自分をイジメてきた相手に復讐する必要がなくなる、あるいはそのことを考えなくなる」からです。

辛い記憶であればあるほど、「同じ目に遭わせてやりたい」「一生苦しませてやりたい」とイジメ加害者への復讐の気持ちを抱くのは当然のことです。

しかし、過去の自分が苦しめられたような暴力や理不尽な言いがかりで復讐したところで、昔の経験はなかったことにはなりませんし、あなた自身の経歴や評判に傷がつくだけです。

それならばいっそ、言葉は悪いですが「今の自分を形作るための踏み台に過ぎなかった」そう思えば、未来まで「生きぬく」自分を誇らしく思うことができると思いませんか。

自分の命を絶つ選択肢まで考えるほど追いつめられた。それでも、生き抜いた。

それがある意味ではイジメに屈しなかった、アナタの自信にもなるのではないでしょうか。

さいごに

私の過去の経験と、そこから見出したイジメに関する個人的な意見を綴ってきました。

異論、反論のある人ももちろん居ると思います。

 

でも私自身は、あの時あの選択を選ばなくてよかったと思うことがその後何度もありました。「生きていてよかった」と思う瞬間が数えきれないくらいあったのです。

「お気に入りのものに出合えた」「前失敗したご飯が今日は美味しくできた」「尊敬する人に褒めてもらえた」などなど、一見ちっぽけで、些細に見えることも含めてです。

小さなことに思えても、それはすべて、生きていなければ味わうことができない気持ち・感覚です。

人間はいつか必ず終わるときが来ます。

どうせならその前に、できるだけ多く「楽しい」「美味しい」「嬉しい」そんな明るい気持ちを味わっておいたほうがお得だと思いませんか?

 

さいごに、まさに今イジメで苦しんでいる人へ私からのお願いです。

私が大丈夫だったようにあなたもきっと、大丈夫です。

今のあなたからは想像もできないほど、未来のあなたはきっと楽しくて幸せで、多くの素敵な出会いにも恵まれているはずです。その出会いを通してまだ見ぬ自分に成長したり、無限の可能性に気づくことだってあるかもしれません。

だからどうか、あなただけは、いつまでもあなた自身の味方で居てあげてくださいね。

あなたの未来が色鮮やかな美しいものになるように、祈っています。